「言語ゲームはすべてを語る」
「言語ゲームはすべてを語る」

ナラトロジーで分析すると、わりと単純化できる作品。 …漠然と混乱を楽しむより、もっと強いクスリあります(笑) この映画。なんだかよく判らんなーと思いながら、いや、しかし、この映画が単純につまらんとか、よくできていない、といってしまうと、知的でないっぽい…という危惧から(笑)なんとか理屈をこねて褒めているのではないか、と思われるレヴューも散見するのですが。。 たしかによく判らない、といえば判らないですが(笑)よほどの天才でない限り、ものを作る人には、作る人なりのロジック、というものがある。それが判っているので、同じものを作る人は、そこにロジックを探そうとする。製作上のある種のéchafaudage 足場的なもの、といってもいい。 その意味でこの映画、ナラトロジーを使って説明すると、わりと上手く説明できるような気がしました(笑) ナラトロジーは、もはや50年前の知見であり、今日小説の分析に使える部分はかなり限定的になってはいるのですが、そのナラトロジーが物語製作の方へ、逆に大きな影響を、既に与えてしまっていることも看過できない。特にフランスの国語教育に与えてしまった影響は甚大で(笑)今日ナラトロジーの様々な不合理が指摘されてはいますけれども、既に現代のフランス人の発想には、その不合理も含めて«第二の自然»化しているかもしれない(笑)

[映画レヴュー]フランソワ・オゾン監督『2重螺旋の恋人(字幕版)』(2017)
[映画レヴュー]フランソワ・オゾン監督『2重螺旋の恋人(字幕版)』(2017)
Yûichi Hiranaka

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