うるさい、黙れ、という圧力

Yûichi Hiranaka
6 min readOct 1, 2019

ふと目にしたPR誌に、こういうことが書いてあった:

…確かに80年代にこういうことを書かれたら、全共闘、シラケ世代という流れの中で、明快なカウンターとしてのインパクトもあり、おーーっ、と感心もしたかもしれない。反抗でもなく、シニカルになるのでもなく、現状を肯定しよう、という態度には、当時としては新鮮で、大きな力があったからだ。また円高、地価高騰を背景に、日本の市民の購買力が広く増大した時期(バブル期)で、物質的な貧困は、このままで、この延長上で、いつかは世界から解消していくのか…的なファンタジーもあった。そこから芸風がぶれてない、と讃えることもできようが(笑)以降、明らかに人為的に状況が大幅に、ここまでdeteriorateしたといえる現在、まだこういうことをいい続けると(つまり、現状を黙って肯定することを美化する、むしろ気の利いたことであるかのような印象を与え続けると)影響力ある言論人の言動としては無責任というよりむしろ実害を生み、それで国際的に高い評価が得られるとまだ思うなら、ファンの人たちは相当感覚がズレている。

その後泊まった宿のドアの内側には、

“未来がどうなるか、あれこれ詮索するのをやめよ。 そして、時がもたらすものが何であれ、贈り物として受けよ。 — ホラティウス

とプリントした紙が貼ってあった。これがホラティウスの名言として一般に、人口に膾炙しているのは世界でもほとんど日本だけではないか(笑)

さらに電車に乗ったら学校の宣伝で、

“批判してたら、それでいいと思ってんのか。人を批判する時、お前、無意識に自分が偉くなった気でいるだろう。批判のつもりでも、結局は非難しているだけじゃないか。そんなもん、反対のための反対だろう。現実をちょっとでもよくすることにはなってないだろ。だいたい物を知らないくせに、謙虚じゃないんだよ、視野狭窄で、頭固いんじゃないの? そもそも世の中完璧じゃないんだからさ、足りないところなんてあるに決まってるだろ。それを指摘して、いい気になってんじゃないよ。まず代案考えろよ、それが前向き、ってもんだろ。文句ばっかいうのは、ただの野次馬だぞ。当事者になれよ。ほら、俺たちを見ろよ。お前だって、まず働け。

的なことが書いてあった(笑)

*学ぶ = 勉強する = travailler = 働く という脳内自動認識が発動しております;)

もちろんこんなもん、教養ある大学の先生が書いたのではなく、ウケけること以外特に考えてない代理店の口車に乗って採用したのだろうが、まぁ、いうならば、とんでもないAlice in Wonderlandである(笑)

そしてとどめに、TVのニュースで、災害ボランティアの人が、行政が至らないとか文句をいうより、自分が体を動かした方が気持ちいいじゃないですか、といっているのを放送していた。
それを見て、さすがにちょっと、もう限界、めんどくさいけど、これは、一応、書き残しておかざる得ないかと肚を括った(笑)

なにか、といえば、要するに、「文句はいうな、あるものをただそのまま受け入れて、黙って働け」、というメッセージの怒涛のような氾濫、だ。

もちろん、こういう露骨なメッセージの大合唱、いや、斉唱(笑)になっているのは、ただのプロパガンダではない。ユーザーが(少なくともそのうちの一定層が)それを気持ちいい、快適だ、つまり、このメッセージに*共感*する、いいね!を押すから、ということがあるからだろう(笑)

ここではいかなる個人攻撃もするつもりはないし、
いわんや「災害ボランティアに行くこと」を「批判」するつもりもない。
が、しかし、それと同じだけ、同時に、文句も*いわなくてはならない*:
自分が気分いいからと、ただ黙って体を動かす、というのは、とんでもない責任放棄だ。

おかしい、間違っているのが判っているのに、自分の気分を優先しそれを表明しないとすれば、それはただの自己愛だし、そうでなくとも、そもそも、これはおかしい、と気づいていながら明言しないのは、基本的に*卑怯な態度*といっていい。
間違いを指摘せず、黙って自分のできることだけして済ますのは、結局その間違いに加担する、片棒をかつぐことになる。

妙な自己犠牲、あるいは逆に、利己的な保身。
客観性を欠いたナルシシズムや、
おかしさを明確にする批判に耳を塞いでしまいたい、精神の脆弱さ。
いやむしろ、他人の批判を黙らせてしまいたい、ファシスト根性。
そういう混沌とした、胡乱で醜い、顔のない、責任の主体のない圧力が、一人でも妥協なくもの考えようとする努力を、いま押しつぶそうとしている。

たとえ誰も聞いていなくとも、たとえ自分では責任を取らない人たちに無責任だと「批判」されても(笑)
間違っていることは、間違っている
おかしいことは、おかしいと
おかしい、おかしい、おかしいと、
苦しくても、文句をいい続けなくてはならない。
それをことばにするのを止めた時、自分もその間違っている、おかしいことの、一部になってしまうのだから。

どうすればいいのか…なんて先に考えようとしていたら、もう手遅れになってしまう。
そんなことを考える前に、まず、「おかしい」と、
このひと言を、一人一人の小さな声で、凛と世界に響かせなければならない。
負けるな、がんばれ。
おかしいことは、おかしい。
たとえ三千万人の怒号でかき消されても、それでも地球は回っている。
正しいことは永遠に正しいし、間違っていることは、永遠に間違ってるのだ。

(((このポストは、面白かったですか??)))

fbページtwitterでも更新をお知らせしています。ぜひライク&フォローしておいて下さい。

*関連するポスト→ 「芸術にできること。
あの時、死んでしまえばよかった」と思う時も。

--

--

Yûichi Hiranaka

公式サイト https://yuichihiranaka.com フェイスブック https://www.facebook.com/yuichihiranaka.page ポッドキャストもあり〼 https://spoti.fi/3Htr5q9 twitterとinstagramは自己紹介とリクエストを送って下さい!