バズらない話

(Ainsi, la photographie du jardin d’hiver, si pâle soit-elle, est pour moi le trésor des rayons qui émanaient de ma mère enfant, de ses cheveux, de sa peau, de sa robe, de son regard, ce jour-là.)

(そんなふうに、そのサンルームの写真は、どれほど色褪せていようとも、私にとっては光の宝だ。それは子どもだった母から、その髪、その肌、そのドレス、そのまなざしから、その日放たれた光なのだ。)

。。バズらない、翻訳のお話です;)

Oeuvres complètes, tome 5 : Livres, textes, entretiens, 1977–1980 Roland Barthes

そうでなくてもバズらない、とは思いますが(笑)こういう定番的な本の話は、隠されていた秘密!というようなパラテクスト(その場合、要は裏話;)とか、

名作、と思われているがじつは違ーう、とか、
ちゃんとした出版社から出ているが、実は翻訳がもう、めちゃくちゃ、
というような、センセーショナリズムがないと、フツーにスルーされてしまう、

名作といわれているが、はい、たしかに名作です、
とか、
はい、ちゃんとまともな翻訳でしょう!
というような話では、もう、全然ひねりもなく、当たり前なので、現在のネットでは無視、ということになるでしょう。

で、残念ながら、そういう当たり前の話です(笑)

BarthesのLa chambre claire.
これは単なる写真論じゃなく、Barthesによる『失われた時を求めて』的な、
生涯独身で母親と暮らしたことで知られるBarthesが、その母を病に失い、自らも程なく事故死する前に書いた遺作であり、

Barthesの文学論、テクスト理論、ナラション理論寄りのものを読んでいると、それに比べてほんとに平易で、あの頭の体操を強いるような知的におもしろい文章を書くことを身上としたBarthesが、よくもここまで屈託のない、素直な読みやすい作品を書いたなー、と思う。

母の死とか、その後の本人の死…遺作…、などといったテクスト外の欄外知識、パラテクストが入っているので、ますますそう思うのでしょうが(笑)

いま必要があって読んでる論文(英文)に引用がたくさんあったので、今回自分の日本語で書く論文に引用するなら、日本語版があったよね。。と検索してみると、最初の方に「翻訳がひどい、誤訳の王者!!」的なページが上がってきて、びっくりしてしまいました(笑)

で、一応ざっと読んで「ああ、なるほど。。」と思ったのですが、はい、ここからがバズらない話で(笑)

まずタイトルのLa chambre claireですが、直訳すると、日本版通りのタイトルになります。作中にBarthesが書いてる通り、camera lucidaとエティモロジックなことば遊びになってるようですが、フランス人には日本語版通りの意味になるので、英訳などがcamera lucidaになっているからといって、ことば遊びのほうを邦訳のタイトルにする根拠はない、それは本文を読んでのお楽しみ、がよいでしょう。原著者の意図により近い。camera lucidaというものは、普通のフランス人は(普通の日本人が知らない程度に)知らないだろうから。chambre noireであれば、これは現像用の「暗室」という意味になりますが、原題では、ふつうに部屋の意味にしかならないでしょう。

訳の問題としてなら、chambreというのはフランス語では、ベッドのある部屋のことで、一概に寝室のことではなく、ホテルの部屋などもこれに入りますから、そのあたりが日本語では巧くいえない、という通常の仏文和訳の問題はあります。

あと、日本語話者が大抵してる勘違いで、imageということばがありますが、これは英語よりさらに、はっきり図像、画像、という意味です。こんな感じ、とかドビュッシーの作品のタイトルにも使われていますが、あくまでも「視覚的に絵がはっきり浮かぶもの」という感覚が中心にある、と考えてください。

これは僕は既に何回か書いたエピソードですが、日本語を勉強したフランス人が日本に行って面白かった思い出話、よく楽しそうに話す笑い話が、「写真はイメージです」。これ、日本語話者は、写真のとおりではなく「だいたいこんな感じ」です、という意味のつもりと思うと思いますが、フランス人から見ると、「写真は画像です」というまったくトートロジー的な、「そんなの見ればわかるよ!(笑)」という謎の注意書きになります。

こんな雰囲気、こんな感じ、という意味では、英語なら結構使える場合もあるけど、フランス語で話す時は気をつけておいたほうが話は通じやすいでしょう、うーん、絵が浮かばないんだけど、と思われますから。。(笑)

それからこの翻訳者ですけども、僕は実は何度か図書館で借りただけですが、ジュネットを読んで、感心したことがあります(。。そういえば、原書も図書館で何度も借りただけでしたが;)

確かにフランス語で読んだほうが判りやすいところはありましたが、それはむしろ当たり前。逆にフランス語で読んでもなかなか意味が判らない、ジュネットくらいでも、大学生でも文学をやってないフランス人だと、うまく理解できない部分がある。それを翻訳で読んで、そう気にならずに読ませてしまうのは、すごい、といえます。

一箇所contresensを見つけて今回増刷時に訂正させた、ともありましたが、フランスの思想書だと、日本語訳で読んでるだけでもばんばん誤訳に気がつくものもある。原著を知っていれば、訳し落としに気づく場合もある。確かに誤訳はないほうがいいですが、初版の段階で完全に誤訳のないほうがやはり珍しく、それは気づいた人が指摘して、増刷されれば修正される、ということで、昔から翻訳文化は積み上げられてきています。

それより驚いたのは、訳者が著者の意図を理解しきれていないから自分に読みにくい訳になっているのではないか、と考えていることで、ふつう著者を別にして、翻訳者以上にその作品を理解できる人はいません。読者の方が、傍目八目でむしろ誤訳に気づく場合はあるでしょうが…。

では、フランスの思想書の邦訳で、判りやすかったものを3、4冊あげてほしいような気がします。そうでないと、判りにくいという基準が判らない。そもそもの基準がないと、判りやすいとも判りにくいともいえないのでは?(笑)

ともかくBarthesでは、これはほんとに読みやすい、素直な本です。そして、非常に胸を打たれる本でもある。思想書や理論書で胸を打たれる本もあるけど、そういうことではなくて、ふつうにエッセイとして、読み物として胸を打たれる、ということです。

特に冒頭に掲げた部分、記憶違いがあるかもしれませんが、だいたいこういう文がある(笑)やはりここは白眉で、第Ⅰ部は普通の写真論なんだけど、第Ⅱ部に入って、ひとり残されたアパルトマンで、夜、母の写真の整理を始めるところから、急に私小説的になり、遂に、ここに至ったあたりで感極まる、という感じがありました。

それはそう、と思ったのは、英訳と仏訳の比較で、僕もフランス語の勉強を始めて、最初にフランス語で本を読もうと思った時、英訳と対照すればいいや、と思ってfnacに見に行ったのですが、その場ですぐに諦めました(笑)フランス語の理解、真面目な勉強には、全然役に立たないからです。

それは、翻訳の伝統の問題で、日本の翻訳は有史以来の漢文逐語訳の伝統から翻訳を考えるが、欧米語間ではむしろ、原文を読み、じゃあこれを(たとえば)英語で全部いうとしたらどうなるか?という作業を翻訳interpretationと考えるほうが近いでしょう。

その意味では、フランスのほうが、日本に近く、原文の形を尊重しようという努力がわりとある、特に近年は…といえる、と思う。これはもう、「翻訳」に対する考え方、翻訳文化、伝統の問題です。

というわけで、BarthesのLa chambre obscure
日本版で読もうと思ったら、こんな訳まるで問題外!!みたいなページが最初に出てきたので、まぁ、確かに、フランス語で読むに越したことはないですが、日本語版だってぜんぜん大丈夫なはず。恐れることなく、ぜひ読んでみて下さい!ということで、今回のこのバズらないポスト。書いてみました;)

Henri Salvador - Jardin d’Hiver

(…アンリ・サルヴァドールを、Jardin d’hiverつながりで;)

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Yûichi Hiranaka

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