バブル最高値に迫る株価と、甦る〝シティポップ〟

『シティポップ短篇集』

日本の株価がバブル最高値に迫る勢いだとか。
バブル真っ只中の80年代、最前線で小説を書いていた者としては、いろいろ思うところもあり、感慨深い。

しかしやはり、バブルの頃の空気感と、いまの空気感はぜんぜん違うというところも気になってしまう。

今回の株価30数年ぶりの回復には、海外投資家からの再評価があるというが、その根拠に、日本企業の体質改善、ということが挙げられている。

日本の企業はこの間に、無駄をなくし、効率化を進め、バブル崩壊後に開始されたストリームライン化、当時の流行語でいえば〝リストラ〟を成し遂げ、企業体質が大きく改善した、と評価されているのだという。

つまり、無駄を削ぎ落とし、贅肉のない、引き締まった健康的な〝体型〟になっている、ということらしい。

しかしその〝体質改善〟のために削ぎ落とされた〝贅肉〟とは、いま現在街にあふれている非正規雇用の人たちのことではないか。

企業の体質は良くなり、株価は上がり、いま既に株を持っている人たちは(これから買う人ではなく)どんどん資産が増えていく。
一方で、〝削ぎ落とされた〟人たちは、主にインターネットと携帯の画面を見て、慎ましい生活を送っている。

お金は、企業にばかり集まる。それはそうだ。例えばフランス式の社会民主主義、つまり、社会正義と公平性の観点から政治が再分配を行わないならば、資本は資本に集まり、〝削ぎ落とされた〟人たちとの貧富の差はどこまででも広がっていく、というのが基本だろう。それが剥き出しの、裸の〝資本主義〟というものではないだろうか。

一方そのような〝優良〟企業に勤めている人たちも、いまの若い人たちは、老後のために投資をしなければいけない、ということで——それはつまり、年金制度の問題だし、集めた年金保険料の運用も失敗したからだが——NISAなどというものに、今からどんどん投資して、結局そのお金は企業に還流している。
…老後については〝健康寿命〟ということがいわれるようになった。
お金があっても、健康でなければできないことがある。だから年金の受給を遅らせて受け取る年金の受給額を上げるのは、仮に十分長生きしたとしても(健康でなくなる確率も考えると)得策とばかりはいえない、という話だが、
同じことは、実は20代、30代にもいえる。
20歳や30歳の時にやりたいと思ったことは、50歳を過ぎると、ほとんどできなくなっていく。
いくらお金に余裕があっても、若くないとできないこと、というのはとても多い。20歳や30歳の時には、なかなか気づかないことだけど…。
その若い時に、老後への投資ばかりしていても仕方がない。

あるのは数字としての〝資産〟ばかり(あるとしても!)。音楽も映画も全てサブスクリプションの、流れて消えるストリーミング。スマートフォンはどんどん高機能化、高価格化し、OSアップデートでアップルやgoogleへの年貢のように買い換えさせられる。100円ショップとファストファッションが与えられているから、必要なものが買えない貧しさは感じない仕組みになってはいるが…。インターネットを見て満足し、外国にも行かない。車がないから、ドライヴもしない。人間関係も、とげとげしいネットの世界に置換され、恋愛だって、ほとんどマッチング・アプリ頼みになっている。それが今の人たちで、それが今の空気を生んでいる。

バブルの頃は、まったく違った。

株なんか、全然持っていなくても、みんながお金を使える時代だった。
レストランやバーに行ったり、ハイ・ファンションを買ったり、車を買ったり、ドライヴしたり、旅行に行ったり。

…ただし、その代わりというか、その分、というか、多くの人がなかなか買えないのは、不動産、家と土地、だった。それが80年代のバブルの〝仕組み〟だった。 — — その点は、だが、現在も都内の新築マンションの平均売り出し価格が1億を超えたという話だから、大多数の人にとってはいまもさして変わるまい…。

しかしそれ以外は、何でも買える、何でもできるような感覚が(少なくとも〝錯覚〟としては)広くあった。

ヘッドフォン・ステレオと車が普及した80年代は、みんなが外に出かけた時代、アウト・ゴーイングな時代でもあった。
街はきらきら輝いて、〝あの角の向こう〟に何かすてきなことが、わくわくすることが待っているんじゃないか。そう自然に感じることができた。

当時の、あのポジティヴな感覚を、経験していない世代に伝えるのは難しいが、そんな空気感を一番ヴィヴィッドに伝えているのが、シティポップだろう。

世界的にも独特の音楽として、近年ソーシャルメディアを通じて評価が確立した。

欧米だけでなく、アジアの各国、韓国やインドネシアやフィリピン、タイなど、かつての80年代の日本のあとを辿るように、都会化の進んできた国々の若者の感覚にはとりわけしっかりとハマって、ひとつのモデル文化として、熱い注目を集めている。

しかし日本の文学にも、同じ時代状況から生まれ、同様に独自の発展を遂げた都会的な小説作品も、実は当時は少なくなかった。

この本には80年代の日本文学から、そういう短篇小説を集めてみた。

続けて読んでみれば、あの頃を知る人には、当時の感覚、空気感が甦り、また当時を知らない人には、なるほど、こんな時代があったのか…と思ってもらえるのではないだろうか。

今とはぜんぜん違う、と書いたけど、「いや、そんなことはない、結構似てるところもあるよ」と反論してくれる若い人たちがいるとしたら、もちろんそのほうが、はるかに嬉しい。

では、4・10発売。楽しいタイム・トリップを!(予約受付中

『シティポップ短篇集』

『シティポップ短篇集』(田畑書店刊)

80年代、日本の都会短篇小説の名手たちを、一同に。

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Yûichi Hiranaka

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