「大阪はケチケチ」と«日本最後の日»

というと、なんだか「風が吹くと桶屋が儲かる」式の話のようですが。。こう考えてみては、どうでしょう? …年の瀬に気になった、みっつのニュースより。

少し前のニュースだが、政府与党の税制改正大綱に関連し、

“日本の賃金について、「30年以上にわたり、ほぼ横ばいの状態にある一方で、企業の株主還元や内部留保は増加を続けている」と指摘。「企業がイノベーションよりも経費削減や値下げに競争力の源泉を求め続けた結果、経済全体としては縮小均衡が生じた」と経済界に苦言を呈しました。

という報道があった。

つまり、「イノベーション」、本質的な解決をめざすことなく、「経費削減」や「値下げ」ばかりやって結果を出してきたところ、「経済全体としては縮小均衡」した、つまり社会としては、貧しくなった。そう税制調査会が指摘している。

「イノベーションよりも経費削減や値下げに競争力の源泉を求め」る、というのを一言で簡潔にいうと、つまりは、「ケチケチ」(笑)

いくら「ケチケチ」したって「縮小均衡」=貧困に終わる、と政府与党がいっている。これは家計においても同じことだろう。「ケチケチ」は、問題の本質的解決にはならない、ということだ。…ところが、それを最大の“売り物”にしてるのが、大阪維新の会、ということになる。
(あまつさえ、それを“改革”と呼んでいる・笑)

さらに政府税調は、会社の中の「内部留保」だけが増えたといっている。
「大阪はケチケチ」の場合でも、その「ケチケチ」で浮いた金が行政サービスや減税として市民に帰って来るシステムがなければ、どこへ行ってしまうのだろう、とふと考える(笑)大阪の場合、維新の会だけが利益を集め太り続けた…という結果に終わらないことを祈るばかりだ。

TBS NEWS 与党の税制改正大綱案判明 賃上げめぐり経済界に苦言 https://youtu.be/xFXDRScJrpg

この年の瀬、もうひとつニュースの話題で気になったものとして:

皇位継承 有識者会議が最終報告書 皇族数確保に2つの案 2021年12月22日 22時13分

皇族数を確保しないと皇室が存続できない、という問題だが、これは日本の人口が減少を続け、日本が消滅する、という問題と相似的な現象とむしろ見るべきではないか(もちろん皇族数の減少と、国民数の減少はそれぞれ異なる原因によることはいうまでもないが)。

フランスでは、日本の出生率が発表になると、しばしば、
「日本人消滅の日が、また何年早まりました!」というようなニュースになる。
いまぱっと検索してみると、古いがこういう記事が最初に出てきた:

Le Japonais en voie de disparition — Libération

自分たちも少子化に苦しんだ近い過去があるので、馴染み深い話題でもあり、また他山の石として注意喚起したい、というところもあるだろう。

今日フランスでは少子化は食い止められているが、この例からも少子化問題というのは、決してどうしようもない自然現象でも、国民の意思の問題でもなく、“政策問題”、つまり、政治で解決できる問題だということがはっきりと判る。
(もちろんフランスの政策に問題がない、弊害がない、という意味ではない。ここでの論点はあくまでも、少子化をあたかも家族や女性の個人的な問題であるかのように扱ったり、自然現象であるかのように当の政治家が語ることがおかしい、ということにある)

ではなぜ少子化が進むか、といえば、端的にいえば、「人間はみんな考える」ということで、なにを考えるか、というと、それは現代日本の場合、戦争に対する不安でも、思想・哲学上の問題でもなく、ただ単に「子どもを育てるには金が要る」ということ、それにつきる。

つまり将来的に、経済的な(金銭的な)不安がある、と考える人は子どもを作らない、ということで、少子化問題を解決するには、この不安を取り除いてやることが最大の施策だろう。

現状でも、個人的にこの問題が解決できる(経済的不安のない)人は子どもを作る。しかし個人的に解決できない(経済的不安がある)人は、子どもを作らない。要するに「少子化問題」とは、後者(経済的不安あり)が前者(経済的不安なし)を数の上で上回っている、ということで、個人に任せていては、この問題は解決できない。というか、現在まで解決できなかった。そして貧富の差はさらに開き続けている。

現状、一個人に可能な対応策、防衛手段として考えられるのは…そう、「ケチケチ」くらいのものだろう。

それと同じことをいっている政党(=維新)に、ごくごく親しい、自分たちにもそのまま納得できる発想を見つけて“共感”するのは、むしろ自然な、ごくごく大衆的な感覚かもしれない。

しかし、「ケチケチ」なら、当然、子どもなんか、作らない(笑)

上記の「皇族数確保」のニュースと同時に目についたのが:

2割負担、来年10月から 75歳以上の医療費引き上げ―政府 2021年12月22日10時06分

この記事には、負担増となるのは高齢者全体の2割で、「約370万人。これによる受診控えも懸念される」と書いてある。

若い人はお金が心配で子どもを作らないところへ、今度は年寄りもお金が心配で病院に行かずにどんどん死ぬようになったら、いまやフランス人たちが“対岸の火事”として楽しく想像している«日本人消滅の日»は、ますます近づいてくるだろう(笑)

たしかにフランスの政策にも問題は多い。フランスは計画経済なので、毎年必ず光熱費も電気代も、パリであれば庶民の足のメトロ(地下鉄)の料金も上がる(水道代はパリの賃貸住宅ではなし)。しかしそれに合わせて、例えば住宅費(家賃)補助などの給付も(受給していれば)毎年上がる。

日本のように、医療費や年金の制度を守る、といって医療費を上げ、年金給付額は下げ、さらに実質賃金もめちゃくちゃ減っている、ということになったら。。
国民にできることは「ケチケチ」しかない。すなわち、子どもは作らない。病院は行かない。消費なんか、しない。

つまり、公共福祉やセーフネットに頼れない以上、国民は常識的な判断をしている、自衛している、「国民はケチケチ」ということでしかない。

(ただし、携帯電話は、いまどき難民でさえ持っている。それは贅沢品ではなく、文字通り現代のライフライン=命綱、何はなくともそれなしには生きていけないものだからだろう。日本人もほんとに欲しい物、例えば携帯まわりにはみんなお金をかける、というなら、それはこの世界3位の経済大国の国民が、国内で難民化してる、ということなのかもしれない…)

「国民はケチケチ」。しかしその「ケチケチ」は、政府与党もご指摘のとおり「縮小均衡」を生む。経済的に将来が不安な以上、いくら補助金を出しても、それは「内部留保」になって、消費には回らない。その「ケチケチ」が、ひいては少子化や、さらに今後は高齢者の「受診控え」を通じ、フランス人たちの楽しい空想の«日本人消滅の日»を早めている。

健康保険や年金を守る、というが、国民あっての健康保険であり、年金だろう。…そういえば、維新の人などコロナの際は、医療機関を守るため無症状の人を検査してはいけないともっともらしくいっていた(笑)この転倒したマインドセットは、皇族数の減少に対する問題意識と日本の国民それ自体の(フランス人いわく)«消滅の危機»のホモロジーにも、相同的に重なってくるのではないか。

つまり、国や機関や制度のために国民がいる、という順番で考えるか;
人がいて、ともに生きていくために社会や制度や国が存在する、という順番で考えるか。
ここでは前者を“転倒したマインドセット”と呼んでいるのだが。。

とはいえ、“個人の空想”という意味に限るなら、日本人が消滅したところで、それはそれで構わないような気もしないでもない。

一国民が、戦争のためでも疫病のためでもなく、ただ主体的に(つまり「ケチケチ」で!)消滅する、などということがもしほんとうに起こるなら、それは、まるで物語のようというか、お伽話のようというか、ほとんどポエティック(詩的)ではないか…とも思うのである。

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Yûichi Hiranaka

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