尾身会長と山本五十六

結局専門家もみんな「もし五輪をするなら」という話ばかり。誰も「絶対やってはいけない!」と怒らない。まるで「もし戦争をするなら半年やそこらは暴れてみせましょう」といったという、第二次世界大戦の時の海軍の司令官とそっくり(笑)それでは五輪も、戦争も止まらない。

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Wikipediaを見ると、太平洋戦争開戦の際、日本の海軍の山本五十六は、

「それは是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。三国条約が出来たのは致方ないが、かくなりし上は日米戦争を回避する様極極力御努力願ひたい」

と答えた、という。ふとこれを思い出したのが、今回の五輪に関し、専門家とされる人たち、医療関係者のTVなどでのコメントが、

非常に危険であり、問題があることを指摘した場合も、結局は

「もし五輪を開催するなら、その場合は…」

という話に落ち着く、ということだ。つまり、

「かくなりし上は…」ということだ。

一応問題点を指摘した以上、自分の責任は果たした。あとは自分に可能なより実効性のある努力をしよう、というある種の“現実主義”、というつもりかもしれない。
日本では、いまだにこの妥協を“大人の態度”と称して、なにか粋な態度でもあるかのように、美化する向きもあるかもしれない。

しかし、これは山本五十六がやったことと同じではないか。

令和に生きる、山本五十六の心。
尾身会長は、令和の山本五十六なのかもしれない。

しかし「かくなりし上は…」では、結局戦争も、五輪も止められない。

太平洋戦争の時も、当時の子どもには、素直に戦争を必要と考えたり、神の国であるだけに、必ず日本は勝利する、とプロパガンダをそのまま信じた“軍国少年”も多かったかもしれない。だが、大人はそうではない。例えば谷崎の「疎開日記」を読んでも、大人同士はこれは大変なことになった、まずいことになった、と話している様子が窺える。

話してはいるが、つまり、問題はあるとは判っていたが、それでも戦争は止められなかった。

今も東京五輪の開催について、反対する人は世論調査で5−3割程度はいるらしい。
もし仮に率直に意見を求められたら、太平洋戦争に、当時反対した大人も、それくらいは普通にいたかもしれない。

今日の後知恵では、太平洋戦争なんて、バカな戦争をして…と普通に思う。アメリカを相手に、システマティックな戦略もなしに、勝利などおぼつかないのは明らかだ。
しかし、そんなことは、当時の大人たちにだって、おおよそ判っていたのではないか。

オリンピックと戦争を一緒にするのはナンセンス、と思う人は多いだろう。
しかし、多くの人が反対しても、オリンピックさえ止められないのなら、“その反対のやり方”では、戦争なんか、もう、絶対に止められない。

パンデミック下の五輪ならまだしも、歴史的には侵略戦争と見なされそうな戦争が目前に迫った時、今度はそれを食い止める、有効な反対のやり方を、その場合には、急遽思いつくだろうか。(無理っぽくないですか?)
今回の五輪は、むしろそのテストケースだった、ともいえる。

あるいはcovidに関しては、このまま、阪神大震災よりは大きいが、東北大震災の被害者よりは少ない、という死者の数で無事(←どこが?)終息するのかもしれない。
無論そうなるよう願いたい。

尾身会長が令和の山本五十六にならないことをお祈りするが、それ以上に、むしろ現代の日本人が、今後前世紀の日本人と同じさらに重大な失敗を、座して見守ることにならないか。そのことのほうが心配だ。

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Yûichi Hiranaka

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