「言語ゲームはすべてを語る」

ブックレヴュー*橋爪大三郎『はじめての言語ゲーム』講談社現代新書2009年
〜Amazonのレヴューを読んで「???」と思い、新書だったので読んでみました(一晩で読めます)。
そこで、「???」とならないレヴューを書いてみました。〜

はじめての言語ゲーム

ことばの意味は、定義したり説明したりできなくても判る(定義や説明は二次的なこと)。

これが「机」で、これが「赤色」と「わかった!」意味に従ってことばを使うことにより、その言語を使う集団に「混ぜて」貰うことができる。

ドッジ・ボールのアウトや鬼ごっこの鬼がなぜ「アウト」で「鬼」なのか。それはみんながそのルールを守ってゲームをするからで、意味や価値はみんながそのゲームを続けること自体のうちに「宿る」。

こう考えることによって『論理哲学論考』の結論だった

「語りえぬことについては沈黙しなければならない」

は乗り越えられる。

ことばの「意味」や「価値」は(ことば自体にではなく)現実の人びとの「ふるまい」、「言語ゲーム」によって支えられることになる。
もはや「語りえぬ」ことはなく、現実の世界に参加することが「哲学を生きる」こと、意味や価値を生みだすことになる。

宗教や政治的な価値観も「言語ゲーム」と同じこの仕組みで支えられている。
仮に社会の価値観を否定しても、人は思考するかぎり「言語ゲーム」から一抜けることはできない(「机」を「椅子」と呼び、「赤」を「青」と呼ぶことにしても、そこにはまた別の「ルール」が生まれるのでは?)。

20世紀を代表する哲学者のひとり、ヴィトゲンシュタイン(1989–1951)の生涯をたどりながら、第一の主著『論理哲学論考』(1922)から第二の主著『哲学探求』(1953:没後出版)の後期思想、特に「言語ゲーム」の概念を解き明かす入門書。

師事していたバートランド・ラッセル(1872–1970)に尊敬され、大きく助けられたことは有名だが、『論考』がのちのオースティン(1911–1960)の分析哲学の基礎ともなったと本書では解説されている。
(オースティンの発話理論、パフォーマティヴの概念は、現代に大きな影響力を持っているのは誰の目にも明らかだろうが、実はその影響力は〈見かけ以上〉ではないか??と思うので、ここにも注目;)

著者の「解説」は非常に判りやすく前向きで、いま人生の意味や自分の価値について考えているところの世代に特にお薦めしたい一冊です!

橋爪大三郎『はじめての言語ゲーム』講談社現代新書 2009年

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Yûichi Hiranaka

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